日本の対フィリピンODA開始、60周年に

2013/10/07

新しい日比パートナーシップを構築へ
佐々木JICAフィリピン事務所長が直言

 

 今年、日本とASEANは交流40周年を迎えた。国際協力機構(JICA)は、日本と深いつながりを持つASEANの開発課題やJICAの支援など、ASEANの「今」をシリーズで紹介している。

 その一環として、10月3日に、 佐々木隆宏JICAフィリピン事務所長による「フィリピンとの新しいパートナーシップ構築へ」という直言が発表されている(JICAウエブサイトhttp://www.jica.go.jp/topics/scene/20131003_01.html に掲載)。その内容は次の通り(以下、ほとんど原文のまま)。

 『最近、フィリピン経済が好調だ。
 1960年代、フィリピンはアジアでマレーシアと並ぶ経済大国だった。その後多くのアジア諸国が発展する中でフィリピンは取り残され、時には「アジアの病人」と揶揄(やゆ)された時代もあった。それが、ベトナム、インドネシア、フィリピンの頭文字をとった「VIP」という略語も生まれ、チャイナ+1の一つとしても注目されつつある。

<日本と共通点が多いフィリピン>
フィリピンはASEANの中で日本に一番近く、海洋国家である。台風、地震、火山噴火などの災害被害も日本と同様に深刻だ。政治体制は大統領制だが、民主主義で市場経済を志向する価値観は共有している。国民の大半はカトリックだが、相互扶助(バヤニハン)、義理人情(ウータンナロブ)というアジア的な価値観も共有する。

 何といっても、強みは人口。平均年齢23歳という若い人口が中長期的に増え続ける。英語は公用語の一つとして広く使用されており、最近はインターネットを通じフィリピン人教師から英語を学んでいる日本の若者も多いと聞いている。日本には20 万人を超えるフィリピン人が住んでいるが、これは中国系、朝鮮半島出身者に次ぐ3番目に多い外国人である。少子高齢化を迎えた日本にとって、共通点も多く、将来性に満ちたフィリピンとのパートナーシップは今後ますます注目されていくだろう。

<安倍総理、四つのイニシアティブ>
 7月には、安倍晋三首相が、第1次安倍内閣以来、6年半ぶりに当地を公式訪問した。安倍首相は両国の戦略的連携をさらに強化するため、(1)活力のある経済を共に育むこと、(2)海洋分野での協力を推進すること、(3)ミンダナオの和平プロセス支援を強化すること、(4)人的交流を一層促進すること、の4点から成る「対フィリピン外交イニシアティブ」を発表した。

 「活力のある経済」では、首相は、マニラ首都圏の運輸交通におけるJICAの協力の推進に言及した。これは、今までの多岐にわたる調査結果を取りまとめ、公共事業道路省や運輸通信省の長官らと直接、意見を交換し、セクター横断的な一貫性のあるロードマップを作成するものだ。また、安倍首相が供与を表明した「災害復旧スタンドバイ借款」(災害発生をトリガーに、復興支援のために活用できる100億円規模のプログラムローン)はJICAにとって新しい取り組みとなるが、これは40年にもわたるこれまでの防災分野の協力があったからこそ、借款供与の前提となる政策の推進やその検証が可能となり、実現したものだ。

 「海洋分野」では、沿岸警備隊の多目的船10 隻の供与が表明された。フィリピンの沿岸警備隊への協力は1990 年にJICAから専門家を派遣したことを皮切りに、円借款、無償資金協力および技術協力と、3スキーム一体となって航路の安全確保や海難救助などの分野を支援してきた。その延長にある海上保安任務の整備・拡充のための船舶の供与は、フィリピン政府から強く期待されていたものだった。

 無駄を排した戦略的なODAの活用が叫ばれる中で、安倍首相がイニシアティブで示した新しい提案は、これまでの成果を活用して生まれたものともいえるだろう。

<温故知新、ODA60周年の成果>
 1954年に日本がコロンボ・プラン(第2次世界大戦後最も早く、1951年に組織された開発途上国援助のための国際機関)に加盟。同年フィリピンから初めて研修員を受け入れ、日本のフィリピン支援が始まった。以来、2014年で60周年となる。現在、これまでの数多くのプロジェクトの中から成果を抽出し、日本、フィリピン両国民向けの広報資料を作成している。セブ島の南東に位置するボホール島での活動は、その代表といえる事例だ。

 JICAは1980年代にフィリピンの最貧困地域の一つであったボホール島の総合開発計画を策定、灌漑(かんがい)施設の建設や農業技術指導による生産性の向上と、260キロメートルに及ぶ環状道路および送電線の建設を行ってきた。貧困と治安は相関関係にあり、当初はJICAの専門家も新人民軍(NPA)から脅迫を受けるなど、十分な活動が行えなかった時期もあったが、開発を続ける過程で治安の問題も解決していった。ボホールでは農業、インフラを通した開発効果が島の経済を押し上げ、コメの自給も2009年に達成した。また、エルガルド・チャトー。ボホール州知事は、こうした開発と並行して若者を組織化、開発の恩恵をできる限り多くの人に伝えるボランティア事業を通してコミュニティーを活性化していく政策を推進し、治安の維持に奮闘した。

 その結果、2010年に軍と国家警察がボホールを安全な地域(insurgency-free)であると宣言した。今ではターシャ(フィリピンメガネザル。世界最小のメガネザルで手に乗るほどの大きさで愛嬌がある。)生息地、チョコレートヒルズが有名な観光スポットになり、年間56万人を超える観光客が訪れている。JICAはボホールのさらなる発展に向けて新国際空港の建設を推進しており、また観光客増加に伴う環境配慮も支援の対象としている。

 チャトー州知事は、フィリピンの州知事会会頭を務めている立場から、「JICAと共に取り組んだボホールの開発経験を、今も貧困に苦しんでいる他州、とりわけミンダナオに生かしたい」と述べている。昨年、フィリピン政府とモロ・イスラム解放戦線(MILF)が和平の枠組み合意に署名し、具体的な交渉が始まっている。今年7月、JICAは紛争影響地域の中心であるコタバトにプロジェクト事務所を開設、職員を配置した。ボホールの経験も生かし、ミンダナオ地域の和平の実現、貧困の撲滅に真正面から取り組む所存だ。

<新しいパートナーシップへ>
 フィリピンに対するODA60周年という節目に、もう一度、これまでの原点に立ち返ろうと思う。そして、共通点の多い日本とフィリピンが真のパートナーになるために、ODAにいかなる貢献ができるか考えていこうと思っている。ボホールでは、すでに青年海外協力隊員がネットワーク型の物作り・デザイン塾、FabLab(Fabirication Laboratoy、ファブラボ)を創設した。若い世代はすでに新たなパートナーシップに向けて動き出している』。

 なお、佐々木所長は、1984年国際協力事業団(当時)に入団。1987年から3年間フィリピンでJICA専門家を務め、1993年のODA 再開時から、2年間ベトナム大使館に勤務。2002年から3年半ミャンマー事務所長。その後東南アジア・大洋州部を経て2011年10月から現職(13年10月3日のJICAトピックスより)。