10月6日は日本のODA開始70周年、フィリピン等が起点
世界最大の比援助国に、JICA田中理事長がメッセージ
2024/10/04
1954年10月6日、日本はコロンボ・プラン(1950年に提唱されたアジア太平洋地域の国々の経済や社会の発展を支援する協力機構)への加盟を閣議決定し、開発途上国に対する政府開発援助(ODA)を開始した。日本政府は、閣議了解により、この10月6日を「国際協力の日」と定め、国際協力への国民の理解と参加を呼びかけている。
この70年間、戦後間もない時期から高度成長期を経て現在に至るまで、日本のODAは、日本が国際社会の責任あるメンバーとして地域や世界の様々な課題への取組に貢献し、それを通じて、日本自身の平和と繁栄を築いていく上でも大きな役割を果たしてきた。2024年10月6日は日本のODA開始70周年である。
このように、日本のODAは第2次世界大戦の戦後賠償と並行して始まった。日本がコロンボ・プランに加盟した1954年頃から開始されたアジア諸国からの研修員受入れや専門家の派遣といった技術協力がそれに当たる。同年フィリピンから初めて研修員を受け入れ、日本のフィリピン支援が始まった。すなわち、日本の対フィリピンODA開始からも70周年を迎えつつあるといえる。
1962年にはJICAの前身となる海外技術協力事業団(OTCA)が設立され、1966年には青年海外協力隊員がフィリピンに派遣された。1968年にOTCAマニラ事務所が開設されたが、1974年、国際協力事業団(旧JICA)設立に伴い、JICAフィリピン事務所となる。以降、長期間にわたって友好関係を築いてきている。その間、日本はフィリピンに対して、衣食住や生活インフラなどのベーシック・ヒューマン・ニーズへの対応や、社会経済インフラの構築をはじめ、災害リスク削減、貧困緩和のほか、産業開発や人材育成など多岐にわたって支援してきている。
JICAが世界最大の対フィリピン援助機関になっており、多面的継続的支援を行っている。2023年末のフィリピンODAポートフォリオ(設定枠残高)においても、日本(JICA)は120億7,000万ドル、シェア32.362%で首位である。また、青年海外協力隊/海外協力隊のフィリピンへの累計派遣隊員数は1,678名(2023年3月末現在)に達し、アフリカ・マラウイの1,854名、ケニアの1,722人に次ぐ世界第3位となっている。
日本のODA開始70周年に際して、JICAの田中明彦理事長は、「日本の開発と未来への揺るぎないコミットメント:日本のODA 70年」というタイトルのメッセージを発出している。田中理事長は、対フィリピンODAに関しては、「2024年は、日本のODAが世界的に、そしてフィリピンにおいても、70周年を迎える重要な年である。フィリピンは1954年以降、日本の最初のパートナー国の一つである」と概括している。
そして、「JICAの協力プログラムは、受援国の国内施策と相乗効果を生み出し、インフラや人的資源の開発に貢献している。特にフィリピンでは、JICAの円借款と技術協力によって、マニラ地下鉄など交通インフラの重要なプロジェクトが進行中で、平和促進や災害リスク軽減にも取り組んでいる。また、42,000人以上のフィリピン政府関係者が研修に参加し、多くの専門家やボランティアが派遣されている。これにより、フィリピンは上位中所得国への道を歩んでいる。
JICAの基本原則は、パートナー国の所有権と自助努力を尊重し、対話を通じた人と人との交流を重視している。これにより、地域に適した解決策を提供し、持続可能な成長を促進している。しかし、気候変動やパンデミックなど、未解決のグローバルな課題は依然として多く、国際社会はこれらの複合的な危機を克服するために連携が求められている。日本政府は、2023年6月に開発協力大綱を改訂し、『人間の安全保障』を根本原則に掲げ、特に脆弱な人々を支援するための取り組みを強化している。
JICAは、「さまざまなアクターを巻き込みながら、開発の課題に対する革新的な解決策を見出すための協力プログラムを進化させている。特にフィリピン文化の「バヤニハン」精神に基づき、相互関係を築くことで、両国間の協力を深化させている」と述べている。
この70年間、戦後間もない時期から高度成長期を経て現在に至るまで、日本のODAは、日本が国際社会の責任あるメンバーとして地域や世界の様々な課題への取組に貢献し、それを通じて、日本自身の平和と繁栄を築いていく上でも大きな役割を果たしてきた。2024年10月6日は日本のODA開始70周年である。
このように、日本のODAは第2次世界大戦の戦後賠償と並行して始まった。日本がコロンボ・プランに加盟した1954年頃から開始されたアジア諸国からの研修員受入れや専門家の派遣といった技術協力がそれに当たる。同年フィリピンから初めて研修員を受け入れ、日本のフィリピン支援が始まった。すなわち、日本の対フィリピンODA開始からも70周年を迎えつつあるといえる。
1962年にはJICAの前身となる海外技術協力事業団(OTCA)が設立され、1966年には青年海外協力隊員がフィリピンに派遣された。1968年にOTCAマニラ事務所が開設されたが、1974年、国際協力事業団(旧JICA)設立に伴い、JICAフィリピン事務所となる。以降、長期間にわたって友好関係を築いてきている。その間、日本はフィリピンに対して、衣食住や生活インフラなどのベーシック・ヒューマン・ニーズへの対応や、社会経済インフラの構築をはじめ、災害リスク削減、貧困緩和のほか、産業開発や人材育成など多岐にわたって支援してきている。
JICAが世界最大の対フィリピン援助機関になっており、多面的継続的支援を行っている。2023年末のフィリピンODAポートフォリオ(設定枠残高)においても、日本(JICA)は120億7,000万ドル、シェア32.362%で首位である。また、青年海外協力隊/海外協力隊のフィリピンへの累計派遣隊員数は1,678名(2023年3月末現在)に達し、アフリカ・マラウイの1,854名、ケニアの1,722人に次ぐ世界第3位となっている。
日本のODA開始70周年に際して、JICAの田中明彦理事長は、「日本の開発と未来への揺るぎないコミットメント:日本のODA 70年」というタイトルのメッセージを発出している。田中理事長は、対フィリピンODAに関しては、「2024年は、日本のODAが世界的に、そしてフィリピンにおいても、70周年を迎える重要な年である。フィリピンは1954年以降、日本の最初のパートナー国の一つである」と概括している。
そして、「JICAの協力プログラムは、受援国の国内施策と相乗効果を生み出し、インフラや人的資源の開発に貢献している。特にフィリピンでは、JICAの円借款と技術協力によって、マニラ地下鉄など交通インフラの重要なプロジェクトが進行中で、平和促進や災害リスク軽減にも取り組んでいる。また、42,000人以上のフィリピン政府関係者が研修に参加し、多くの専門家やボランティアが派遣されている。これにより、フィリピンは上位中所得国への道を歩んでいる。
JICAの基本原則は、パートナー国の所有権と自助努力を尊重し、対話を通じた人と人との交流を重視している。これにより、地域に適した解決策を提供し、持続可能な成長を促進している。しかし、気候変動やパンデミックなど、未解決のグローバルな課題は依然として多く、国際社会はこれらの複合的な危機を克服するために連携が求められている。日本政府は、2023年6月に開発協力大綱を改訂し、『人間の安全保障』を根本原則に掲げ、特に脆弱な人々を支援するための取り組みを強化している。
JICAは、「さまざまなアクターを巻き込みながら、開発の課題に対する革新的な解決策を見出すための協力プログラムを進化させている。特にフィリピン文化の「バヤニハン」精神に基づき、相互関係を築くことで、両国間の協力を深化させている」と述べている。